「たとへば、こんな怪談話 4 =雲外鏡= 第二話」  洗濯物を一通り干し終わると、庄兵は洗濯物を干している部屋の中で 寝っ転がった。なにせ、一週間分の洗濯物である…ここが、独身の辛い ところ…  「疲れたぁ…」  朝から、広い家の掃除やら洗濯で、休日は半日潰れるのが毎度のこと である。それに加えて、ここ数日のハードな残業に継ぐ残業で庄兵は疲 れ切っていた。  寝っ転がってウトウトと微睡んでいると、庄兵の耳に雨垂れの音が聞 こえてきた…  「…ああ、やっぱり降ってきたか…」 と、独り言を言ってまた暫くまどろんでいたが、次第に強くなる雨足の 凄さに、  「あっ…!彼女は?」 と、言って起きあがった。  傘を持って家の裏の工事現場に行くと、はたして雪枝は穴にビニール シートを掛けている最中であった。  「手伝おうか?」 と、声を掛けた庄兵に  「いいえ、大丈夫です」 と、庄兵の方を振り向かずにシートを重そうに引っ張っりながら雪枝は 答えた。  …しかし…  「キャーーー」  豪雨にぬかるんだ地面に足を取られ、雪枝はシートごと穴に落ちてし まった!  それを見た庄兵は、持っていた傘を放り出し、雪枝の落ちた穴に駆け 寄った。  穴を覗き込むと、雪枝はシートの下でもがいていた。庄兵は穴に飛び 降りるとシートを捲り、雪枝を助け出した。  「ありがとう」  雪枝は軽く礼を言うと、泥だらけの顔を腕で拭った。しかし、全身が 泥だらけになっていたので、雪枝の顔はよけい汚くなった。  庄兵は取りあえず穴から出ると、  「ほら」 と言って、雪枝に自分の手を指しだした。  雪枝は一寸ためらったが、はめていた軍手を外すと庄兵の手を握った。  庄兵が力を込めて雪枝を引っ張り上げたが、雪枝の右足が穴の入り口 にかかった瞬間、その足場が崩れて逆に庄兵を穴に引きずり落とす格好 になった。  穴の底で二人は折り重なるように倒れ込んだ…  「イテテテテ…」  雪枝の膝が鳩尾に入ったため、苦しげに起きあがった庄兵は右手を正 面の地面について、左手は自分の左方の位置についた…つもりだった… その時、庄兵は左手の平に柔らかい感触を感じた…  「キャッ!」  女の短い悲鳴に驚いて、鳩尾の痛みも忘れガバッと起きあがった庄兵 は声の主の方を見た。  …すると、両手で自分の胸をかばって顔を赤くして庄兵を睨み付けて いる雪枝の姿があった…  庄兵はギクリとして、  「…ゴメン…」 と、小声で謝った。すると、雪枝もハッとして、  「い、いいえ…」 と、下を向いてしまった…  「と…とにかく、穴から出なきゃ…」 と、顔を赤くして庄兵が言うと…  「そっ…そうね…」  雪枝も恥ずかしがって、庄兵から視線を逸らして言った。  そうして、ギクシャクしながらも二人は穴から這い出し、穴にシート を掛けた…  シートを掛け終わると、庄兵は泥だらけの雪枝を見て、  「その泥だらけの格好もなんだから、家に寄って風呂でも入っていか ないか?」 と、言った。  庄兵自身は軽く言ったつもりだったが、言った後で、ハッとなってし まった…  (不味いことを言ったかな…?) と、庄兵が思っていると、  自分の姿をマジマジと見回した雪枝は  「じゃ…じゃあそうさせていただけますぅ?」 と、少しトーンが高い声で、もじもじしながら言った。  玄関を入って上がろうとしたとき、庄兵は初めて自分も泥だらけであ ることを認識した。それだけ、庄兵はあがっていたのである。  庄兵はなぜか泥だらけの自分がおかしくなり、  「ハハハ…お互い泥だらけだね…」 と庄兵が言うと、雪枝もあらためて自分と庄兵の姿を見て笑った。  一旦、玄関から出て、井戸から水を汲んで、二人は足を洗った。  雪枝を風呂に案内すると、洗濯機に着物を放り込むように言った。  雪枝は最初ためらったが、泥だらけの自分の姿を風呂場の鏡で見ると、 仕方なく従った。  庄兵は彼女が風呂に入っている間に彼女の着替えになる物を探したが、 そこは、男所帯…トレーナーしか思いつかなかった…  トレーナーを脱衣籠に入れてこれを着るように雪枝に言うと、自分も 泥だらけの衣服を脱いで洗濯機に入れた。  居間でくつろいでいた庄兵の前にダブダブのトレーナーを着た雪枝が 洗い髪をタオルで拭きながら現れた。  「・・・ドウモ、スミマセン・・・」 と、小言で言う雪枝に対して、  「ま…お茶でも…」 と、庄兵は勧めたが、雪枝は完全に堅くなっていた。  …しかし…  「ミイ…」  「あっ…子猫…」  居間に入ってきた子猫の姿を見つけ、さっきまでの堅くなった身を自 然体に戻した雪枝は、  「おいで、おいで…」 と、子猫を招いた。  子猫は雪枝の招くままにトコトコと雪枝の元に近寄ってきた。近寄っ てきた子猫を抱き上げると、自分の頬を子猫に擦り寄せ、  「カワイイ!この子あナタノ…???」 と、聞いたところでギョッとなって、庄兵の居る後ろに目を釘付けにし た…そこには、十数匹の猫が丸くなっていたからである…  庄兵は雪枝の視線を追って後ろにいる猫達を一別すると  「…ああ、こいつらみんな家の猫」 と、雪枝の方に振り返り、平然と返事した。  「…こんなに沢山…なんで??」  「先祖代々飼ってきたのがこんなに増えちゃって…捨てるのも可哀相 だから、こうして飼っているんだ」 と、嘘を付いた。…本当は、この家の陰の主となっているお八重の陰謀 なのだが…  「そ…そう…」 と、言っている雪枝の目が点になった。  「大丈夫、みんなおとなしくていい子だから暫く相手してあげて…俺 は風呂に入ってくるから…」 と、言って立ち上がった。  雪枝は、庄兵の行動を見て不安に思ったのか、声を掛けようとしたが、 思いとどまった。  庄兵が風呂に入っている間、居間にやってくる猫達に次々と擦り寄ら れて居間の隅で子猫を抱いて座っている雪枝の姿があった。  庄兵が風呂から上がって居間に行くと、そこには猫に囲まれて…いや、 この場合猫の山の中にと言った方が正解かも知れない…俯いて子猫を抱 いている雪枝の姿を見つけた。  「へーー、家の子達は人見知りが激しいんだが…」 と、軽く言った庄兵に雪枝は顔を上げた。それは半べそ状態で何かを訴 え掛ける目つきだった…  (…可哀相なことをしたかな?) と、庄兵はその目を見てギクッとしたが、雪枝の口から出た言葉は、  「キャハハ、私こんなに沢山の猫に囲まれたの生まれて初めて!」 と、喜びの声だった…  「私、子供の頃から沢山の猫に囲まれて過ごすのが夢だったの…こん なに意外なところで叶うなんて…夢みたい!!」 と、言って雪枝ははしゃいでいた。  「…そっ、そう…それはよかった…」  庄兵はただ唖然としているだけだった。それと同時に、  (猫好きの娘で良かった…) と、ホッとした。  …こうして、打ち解けたのか、雪枝は庄兵に色々なことを話し始めた。 大学の事,考古学の事,そして、自分の事…日が暮れても雪枝は一向に 帰ろうとはせず、かえって彼女が手料理を作ってくれた。  夕食が済んでも雪枝は猫達に囲まれて無邪気に戯れながら、庄兵に色 々なことを話していた。  夜がすっかり更けて、雪枝は帰ったが、帰り際に  「あの…また遊びにきていいですか?」 と、目を輝かせて言った。  「いいですよ、こいつらも喜ぶでしょう」 と、庄兵は返事した。  雪枝は名残惜しいのか猫達を振り返り振り返り家路についた。  門から雪枝の姿を見送っていた庄兵の耳元に、  「なかなかいい娘じゃないの」 と言う静の声が聞こえた。  振り返ると、静がニンマリと微笑んでいた。  「目が悪そうだけど、今の娘ってあんな物でしょ?それに、学者さん だし…今は汚いなりをしているけど磨けば結構美人になると私は思うね… 向こうも庄兵さんに対してはまんざらでもないようだし…やっと、庄兵 さんにも春がやってきたわね…コノ!」 と言って、静は肘で庄兵のことをつついた。  「…そんなぁ…静さん。今日遭ったばかりの人に…」 と、庄兵はムキなって言った。しかし、庄兵の顔は赤くなっていた。  「ほほほ…赤くなって…」 と静は鈴を転がすような声で笑った。  翌日、庄兵はいつものように会社に出社した。雪枝も庄兵の家の裏の 穴の調査にやってきた。  雪枝は昨日掛けたシートを外すと、昨日穴に落ちたときには気づかな かったが、自分が足を滑らせた箇所が大きく陥没しているのを見つけた。  陥没している場所を注意深くシャベルで掘ってみると、そこには大き な空間があることが判った。  「なにかしら…」  雪枝はスコップを持ち出し、自分の体が通るくらいに穴を開けると、 懐中電灯を手に中に入った。  「防空壕…にしては、掘った時期が古そうねぇ…地下室の隣にある謎 の空間…なんてねぇ…」 と、壁を懐中電灯で照らし、そこを手で探りながら独り言を言っている 声が考古学的興味からか、嬉々としていた。  穴は縦長で意外と広かった…  「へぇーーー、以外と広いわね。ここも倉の地下の一つかしら…それ とも、隣の倉の地下?」  感心して周囲を懐中電灯で照らしていた雪枝は、その穴の奥に何かを 見つけて、懐中電灯の光をそれに集中させた…  「なにかしら?」  近寄ってみると、そこには漆塗りの櫃があった。  「桐紋の入った櫃…これも、秋山家の物かしら?」  櫃を注意深く探ってみると、櫃の蓋に何某かの紙が貼ってあった。  「…何かしら、この櫃に入っている物を記載してあるのかしら…」  雪枝は懐中電灯を照らして紙に書かれている文字を読もうとした。  「…変な文字、なんか陰陽道の札の文字に似てるわねえ…」 と、良いながら何気なく紙を破がしてしまった…  …そして、  「何が入っているかしら?」 と言いながら、櫃の蓋を開けた。  蓋を空けてみると中には鹿の皮が幾重にも重なっていた。その鹿の皮 を除けていくと、中から銅鏡が出てきた。  「…銅鏡?」  雪枝は銅鏡を手に取ると覗き込んだ。  「…かなり古い物ねぇ…平安時代の物かしら?…それにしては、全然 錆びていないのはなぜ?」  鏡に映った自分をまじまじと見ていたその時。  「きゃっ!」  鏡が突然鋭い光を放ち、雪枝の体を包んだ…あまりの眩しさに雪枝は 目を開けられなかったが、何か引き込まれる感じがした… =続く= 藤次郎正秀